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下山尾長野の椿さんは、歯痛に霊験があるという。
戦国時代の終わり頃、今から430年前のこと、都の近くで大きな戦があり、戦に敗れた武士たちが続々と都を逃れ、各地に落ちのびて行った。山陰街道・舞鶴街道にも幾組もの落ち人が、折れた槍、つるの切れた弓を杖に人目をさけて北へ北へと逃れて行った。
そんな一団が、尾長野にもたどりついた。その中の身分の高そうな一人の武将は深手を負って街道をそれた谷間に入り手当をしていたが、もうこれまでと覚悟を決めて、村人を呼んで、「それがしは、この度のいくさに敗れ、ようやく逃げのびてきたものの、この深手、切腹して果てる故、ここに葬ってもらいたい。なきがらの上には、椿の木を植えてほしい。何のお礼もできないが、かわりに歯痛の治るまじないを教えよう。」と頼み、家来たちを北の国に落したあと、見事に切腹して果てた。村人たちは、武将のなきがらを手厚く葬り、ほこらを建て、椿の苗木を植えて祭った。以来、椿さんの愛称で呼び、ずっと祭りをしてきた。
椿の苗は年ごとに大きく成長し、そのほとりには美しい泉がこんこんと湧き出るようになった。村人たちはこの泉を「シュウズ」と呼んだ。そのうちに誰いうとなく、歯が痛むと椿さんの葉で「シュウズ」をすくい、口に含んでその葉で歯の上をなでると見事痛みがとれるといううわさが広がり始めた。村人たちは歯が痛むと必ず椿さんにお参りをし、悲運の武将の冥福を祈り、歯痛が治るように一心にお願いしたという。
今も椿の木は、武将の霊魂を宿すが如く、春には深紅の花を咲かせ続けている。泉は戦後に、ほこらは10年程前になくなってしまった。
西階区にある薬師堂は今から2000年前の建物といわれている。
ある年の「から梅雨」に、村人みんながこの薬師堂にこもって、太鼓をならし、「雨、たんもれ、たんもれ」とおがんでいると、青空が一天にわかにかき曇って大雨が降りだした。その瞬間、薬師如来さまのお光りが光々と輝き、燈明の光りもあざやかになった。大雨でびしょぬれになった村人の中で、誰一人としてかぜをひく者はなかった。かぜをひくどころか、お薬師さんでいただいた大雨でびしょぬれになった村の娘さんは、その日から一段とべっぴんさんになったという話しである。
実勢の北谷地内に小さな薬師堂がある。四方3メートルぐらいの建物で、かなり古いものだが年代はわからない。この中に薬師如来と日光菩薩月光菩薩の像が祭られている。昔、心の悪い者がこれを盗み、縁側まで持ち出してこれをふろしきに包んで背負い、さて立ち上がろうとしたがどうしたことか重くて立てない、どうにもこうにも動こうとしないので、とうとうあきらめて元の仏壇へ返したという。
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